Northern bear spirit

気づいたこと、奇跡講座、ワーク、哲学、スピリチュアル

Let It Be 母性原理  Part 2/4  ステファニーパナイ  (奇跡講座)

Let It Be 母性原理  Part 2/4  ステファニーパナイ  (奇跡講座)

Let it be. 
Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=pJqKjnm4h90


3. 贖罪原理と慰める母

贖罪のメッセージは、悪夢を見た子どもを慰める母親のようなものです。

「大丈夫よ、あなたは安全よ。」

このメッセージの「なだめるような性質」は、母性的なものと考えると、より受け入れやすくなるかもしれません。実際に、『奇跡のコース』で「母」という言葉が唯一使われる場面は、次のような文脈です。

「宇宙で完全に一人だという分離の信念を、奇跡は、愛する母が子どもを眠りに誘うように、やさしく訂正する。*」

__________________________________________
*訳注:C-2.8
それが自我であった。あの残酷な憎悪、復讐の必要と苦痛の叫び。死ぬことへの怖れと殺したい衝動、同胞なき幻想と、全宇宙の中で一人っきりに見えた自己、こうした全てが自我であった。 あなた自身についてのこの恐ろしい思い違いを、奇跡があたかも愛情深い母親が我が子に子守唄を歌うように優しく訂正する。 あなたが聞きたいのは、このような歌ではないだろうか。 それが、あなたが尋ねようと思ったこと全てに答え、その質問さえも無意味にするのではないだろうか。 
 This was the ego-all the cruel hate, the need for vengeance and the cries of pain, the fear of dying and the urge to kill, the brotherless illusion and the self that seemed alone in all the universe. This terrible mistake about yourself the miracle corrects as gently as a loving mother sings her child to rest. Is not a song like this what you would hear? Would it not answer all you thought to ask, and even make the question meaningless?

__________________________________________

歴史的に見れば、「贖罪」や「神」という言葉には男性的・父権的な響きがあります。しかし、「神の母性」を想起することで、そのイメージは癒されるのです。

4. ジュリアン・オブ・ノリッジと「母なる神」

神の母性的な性質への敬意は、中世の隠者ジュリアン・オブ・ノリッジ*の著書『神の愛の啓示(Revelations of Divine Love)』にも見られます。この書では、彼女が受け取った神的ビジョンや神学的洞察が記されています。
__________________________________________
*訳注:ジュリアン・オブ・ノーウィッチ(1342年頃 - 1416年以降)
イギリスの神秘主義者であり、女性隠遁者でした。彼女は中世キリスト教神秘主義において最も重要な人物の一人とされ、英語で著作を著した最初の女性として知られている。

生涯
ジュリアンの生涯については、ほとんど何も分かっていない。私たちが知る詳細は、主に彼女自身の著作から得られている。1373年、30歳の時、彼女は末期と思われた病に苦しみながら、16回にわたる強烈な幻覚、いわゆる「顕現」を経験した。彼女は奇跡的に回復し、残りの人生をイギリスのノーウィッチにあるセント・ジュリアン教会付属の小部屋で隠遁者、あるいは女性隠遁者として過ごした。彼女は精神的なカウンセラー、アドバイザーとして知られるようになった。
__________________________________________

ジュリアンによれば、神は父であるだけでなく母でもあるのです。当時の社会では、子どもたちが慰めや安心を求める相手は主に母親でした。ジュリアンはこう主張します――私たちは、神にも同じ性質を見出すべきだと。
彼女はさらに言います。イエスもまた「私たちの母」として捉えることができると。

「イエスは私たちの真の母であり、ミルクではなくご自身によって私たちを養います。彼は私たちを愛のうちにご自身の中に抱え、優しい母のように私たちを囲い守るのです。」

ジュリアンの言葉は続きます。
「マリアもまた、私たちすべての母である。この“母”という優しく愛らしい言葉は、それ自体がとても甘美で繊細なものであり、真にこの名にふさわしいのは、彼(イエス)と彼女(マリア)だけである。母なる存在は、子どもの必要を知り、理解し、最も優しく見守るのである。」


5. 破局化への癒しとしての「母」

ですから、私たちが不安や「破局化(最悪への思い込み)」に陥ったときには、この「母なる神」の姿を思い浮かべてもよいのです。どのような形であれ、天の母はこう語ってくれるでしょう:

「大丈夫。今も、これからも、あなたは安全ですよ。」

天気やお金の不安、健康への恐れ、人の機嫌など、私たちが不安を感じるあらゆる場面において大切なのは、「外側」の状況ではなく、それに対して自分がどのように意味づけをしているか(=心の中の選択)に目を向けることです。
エゴは、私たちの意識を世界に向けさせようとします。「あなたの不安の原因は外にあるのだ」と。

「あなたは今起こっていることには何か自分を脅かすものがあるはずだから、自分を守らなければならないという信念を抱き、その信念に基づいて行動する。*」

__________________________________________
*訳注:W-135.2
 あなたは今起こっていることには何か自分を脅かすものがあるはずだから、自分を守らなければならないという信念を抱き、その信念に基づいて行動する。脅威の感覚は、内にある弱さの認識である。 適切な防衛をしようとさせるだけの威力のある危険が存在するという信念である。 世界は、この狂気の信念に基づいている。 そして、あらゆる構造、そのすべての考えや疑念、その刑罰や、重装備の軍隊、その法律的な規定や規約、その倫理や、指導者や神々、こういった一切が、脅威の感覚を温存するために働いている。 ブログで身を固めて世界を歩くものは誰も必ず、自分の胸に襲い掛かる恐怖を感じているからである。
You operate from the belief you must protect yourself from what is happening because it must contain what threatens you. A sense of threat is an acknowledgement of an inherent weakness; a belief that there is danger which has power to call on you to make appropriate defense. The world is based on this insane belief. And all its structures, all its thoughts and doubts, its penalties and heavy armaments, its legal definitions and its codes, its ethics and its leaders and its gods, all serve but to preserve its sense of threat. For no one walks the world in armature but must have terror striking at his heart.

__________________________________________

6. 自我の「防衛」は苦しみを深める

破局化に基づいた「計画」や「準備」は、私たちの不安を和らげるどころか、むしろそれを強化します。なぜならそれは、「自分は弱く、世界の力に翻弄されている」という信念を支える行為だからです。
だからこそ『奇跡のコース』は言います――私たちの「防衛」は、かえって恐れを深める。
そのようなときこそ、聖霊に助けを求め、心の誤った認識を訂正してもらうことが求められます。

7. 真の共感と「手放し」

『奇跡のコース』の「真の共感*」のセクションでは、他者の苦しみにどう応じるか(または、自分が破局化しているときの対処)について、こう書かれています。

__________________________________________
*訳注:T-16.Ⅰ 真の共感
「どんな必要もいつまでも満たされずにおかれることはない。それは聖霊の機能であり、あなたの機能ではない。」
__________________________________________
*訳注:T-16.Ⅰ.7
あなたはこれを秘密裏にしか行おうとしない。そして、それらの必要を別々にして、どちらからも秘密にしておくので、ひとりの必要を満たすことで他者を危険にさらすことにはならないと考える。それは道ではない。というのも、それは生命と真理には至らないからである。必要を満たすことを自らの機能とする聖霊に、あなたがすべての必要をゆだねるなら、どんな必要もいつまでも満たされずにおかれることはない。それは聖霊の機能であり、あなたの機能ではない。 聖霊はそれらを密かに満たすのではない。というのも、聖霊は、あなたが聖霊を通して与えるすべてを共有しようとするからである。それが、聖霊がそれを与える理由である。あなたが聖霊を通して与えるものは、一なる子の全体のためのものであり、その一部のためのものではない。聖霊にその機能をゆだねなさい。あなたの関わる関係の中に入ってきて、それらを自分のために祝福してくれるようにと頼みさえすれば、聖霊はその役目を果たすだろう。
You will attempt to do this only in secrecy. And you will think that by meeting the needs of one you do not jeopardise another, because you keep them separate and secret from each other. That is not the way, for it leads not to life and truth. No needs will long be left unmet if you leave them all to Him Whose function is to meet them. That is His function, and not yours. He will not meet them secretly, for He would share everything you give through Him. That is why He gives it. What you give through Him is for the whole Sonship, not for part of it. Leave Him His function, for He will fulfill it if you but ask Him to enter your relationships, and bless them for you.

__________________________________________

「彼」とは聖霊、あるいはイエス、あるいは大文字の「母(Mother)」です。彼らは、私たちの苦しみの裏にある真のニーズを見抜き、それを適切に癒す力を持っています。

~Part3/4へと続く

Let It Be 母性原理  Part 2/4  ステファニーパナイ  (奇跡講座)

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Let it be. 
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3. 贖罪原理と慰める母

贖罪のメッセージは、悪夢を見た子どもを慰める母親のようなものです。

「大丈夫よ、あなたは安全よ。」

このメッセージの「なだめるような性質」は、母性的なものと考えると、より受け入れやすくなるかもしれません。実際に、『奇跡のコース』で「母」という言葉が唯一使われる場面は、次のような文脈です。

「宇宙で完全に一人だという分離の信念を、奇跡は、愛する母が子どもを眠りに誘うように、やさしく訂正する。」

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訳注:C-2.8
それが自我であった。あの残酷な憎悪、復讐の必要と苦痛の叫び。死ぬことへの怖れと殺したい衝動、同胞なき幻想と、全宇宙の中で一人っきりに見えた自己、こうした全てが自我であった。 あなた自身についてのこの恐ろしい思い違いを、奇跡があたかも愛情深い母親が我が子に子守唄を歌うように優しく訂正する。 あなたが聞きたいのは、このような歌ではないだろうか。 それが、あなたが尋ねようと思ったこと全てに答え、その質問さえも無意味にするのではないだろうか。 
 This was the ego-all the cruel hate, the need for vengeance and the cries of pain, the fear of dying and the urge to kill, the brotherless illusion and the self that seemed alone in all the universe. This terrible mistake about yourself the miracle corrects as gently as a loving mother sings her child to rest. Is not a song like this what you would hear? Would it not answer all you thought to ask, and even make the question meaningless?

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歴史的に見れば、「贖罪」や「神」という言葉には男性的・父権的な響きがあります。しかし、「神の母性」を想起することで、そのイメージは癒されるのです。

 

4. ジュリアン・オブ・ノリッジと「母なる神」

神の母性的な性質への敬意は、中世の隠者ジュリアン・オブ・ノリッジの著書『神の愛の啓示(Revelations of Divine Love)』にも見られます。この書では、彼女が受け取った神的ビジョンや神学的洞察が記されています。

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訳注:ジュリアン・オブ・ノーウィッチ(1342年頃 - 1416年以降)
イギリスの神秘主義者であり、女性隠遁者でした。彼女は中世キリスト教神秘主義において最も重要な人物の一人とされ、英語で著作を著した最初の女性として知られている。

生涯
ジュリアンの生涯については、ほとんど何も分かっていない。私たちが知る詳細は、主に彼女自身の著作から得られている。1373年、30歳の時、彼女は末期と思われた病に苦しみながら、16回にわたる強烈な幻覚、いわゆる「顕現」を経験した。彼女は奇跡的に回復し、残りの人生をイギリスのノーウィッチにあるセント・ジュリアン教会付属の小部屋で隠遁者、あるいは女性隠遁者として過ごした。彼女は精神的なカウンセラー、アドバイザーとして知られるようになった。

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ジュリアンによれば、神は父であるだけでなく母でもあるのです。当時の社会では、子どもたちが慰めや安心を求める相手は主に母親でした。ジュリアンはこう主張します――私たちは、神にも同じ性質を見出すべきだと。
彼女はさらに言います。イエスもまた「私たちの母」として捉えることができると。

「イエスは私たちの真の母であり、ミルクではなくご自身によって私たちを養います。彼は私たちを愛のうちにご自身の中に抱え、優しい母のように私たちを囲い守るのです。」

ジュリアンの言葉は続きます。
「マリアもまた、私たちすべての母である。この“母”という優しく愛らしい言葉は、それ自体がとても甘美で繊細なものであり、真にこの名にふさわしいのは、彼(イエス)と彼女(マリア)だけである。母なる存在は、子どもの必要を知り、理解し、最も優しく見守るのである。」


5. 破局化への癒しとしての「母」

ですから、私たちが不安や「破局化(最悪への思い込み)」に陥ったときには、この「母なる神」の姿を思い浮かべてもよいのです。どのような形であれ、天の母はこう語ってくれるでしょう:

「大丈夫。今も、これからも、あなたは安全ですよ。」

天気やお金の不安、健康への恐れ、人の機嫌など、私たちが不安を感じるあらゆる場面において大切なのは、「外側」の状況ではなく、それに対して自分がどのように意味づけをしているか(=心の中の選択)に目を向けることです。
エゴは、私たちの意識を世界に向けさせようとします。「あなたの不安の原因は外にあるのだ」と。

「あなたは今起こっていることには何か自分を脅かすものがあるはずだから、自分を守らなければならないという信念を抱き、その信念に基づいて行動する。」

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*訳注:W-135.2
 あなたは今起こっていることには何か自分を脅かすものがあるはずだから、自分を守らなければならないという信念を抱き、その信念に基づいて行動する。脅威の感覚は、内にある弱さの認識である。 適切な防衛をしようとさせるだけの威力のある危険が存在するという信念である。 世界は、この狂気の信念に基づいている。 そして、あらゆる構造、そのすべての考えや疑念、その刑罰や、重装備の軍隊、その法律的な規定や規約、その倫理や、指導者や神々、こういった一切が、脅威の感覚を温存するために働いている。 ブログで身を固めて世界を歩くものは誰も必ず、自分の胸に襲い掛かる恐怖を感じているからである。
You operate from the belief you must protect yourself from what is happening because it must contain what threatens you. A sense of threat is an acknowledgement of an inherent weakness; a belief that there is danger which has power to call on you to make appropriate defense. The world is based on this insane belief. And all its structures, all its thoughts and doubts, its penalties and heavy armaments, its legal definitions and its codes, its ethics and its leaders and its gods, all serve but to preserve its sense of threat. For no one walks the world in armature but must have terror striking at his heart.

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6. 自我の「防衛」は苦しみを深める

破局化に基づいた「計画」や「準備」は、私たちの不安を和らげるどころか、むしろそれを強化します。なぜならそれは、「自分は弱く、世界の力に翻弄されている」という信念を支える行為だからです。
だからこそ『奇跡のコース』は言います――私たちの「防衛」は、かえって恐れを深める。
そのようなときこそ、聖霊に助けを求め、心の誤った認識を訂正してもらうことが求められます。

 

7. 真の共感と「手放し」

『奇跡のコース』の「真の共感*」のセクションでは、他者の苦しみにどう応じるか(または、自分が破局化しているときの対処)について、こう書かれています。

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訳注:T-16.Ⅰ 真の共感
「どんな必要もいつまでも満たされずにおかれることはない。それは聖霊の機能であり、あなたの機能ではない。」

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訳注:T-16.Ⅰ.7
あなたはこれを秘密裏にしか行おうとしない。そして、それらの必要を別々にして、どちらからも秘密にしておくので、ひとりの必要を満たすことで他者を危険にさらすことにはならないと考える。それは道ではない。というのも、それは生命と真理には至らないからである。必要を満たすことを自らの機能とする聖霊に、あなたがすべての必要をゆだねるなら、どんな必要もいつまでも満たされずにおかれることはない。それは聖霊の機能であり、あなたの機能ではない。 聖霊はそれらを密かに満たすのではない。というのも、聖霊は、あなたが聖霊を通して与えるすべてを共有しようとするからである。それが、聖霊がそれを与える理由である。あなたが聖霊を通して与えるものは、一なる子の全体のためのものであり、その一部のためのものではない。聖霊にその機能をゆだねなさい。あなたの関わる関係の中に入ってきて、それらを自分のために祝福してくれるようにと頼みさえすれば、聖霊はその役目を果たすだろう。
You will attempt to do this only in secrecy. And you will think that by meeting the needs of one you do not jeopardise another, because you keep them separate and secret from each other. That is not the way, for it leads not to life and truth. No needs will long be left unmet if you leave them all to Him Whose function is to meet them. That is His function, and not yours. He will not meet them secretly, for He would share everything you give through Him. That is why He gives it. What you give through Him is for the whole Sonship, not for part of it. Leave Him His function, for He will fulfill it if you but ask Him to enter your relationships, and bless them for you.

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「彼」とは聖霊、あるいはイエス、あるいは大文字の「母(Mother)」です。彼らは、私たちの苦しみの裏にある真のニーズを見抜き、それを適切に癒す力を持っています。

~Part3/4へと続く

Let It Be 母性原理  Part 1/4  ステファニーパナイ  (奇跡講座)

Let It Be 母性原理  Part 1/4  ステファニーパナイ  (奇跡講座)

Let it be. 
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1. 「Let It Be(レット・イット・ビー)」

今日は私が書いたエッセイ「Let It Be(レット・イット・ビー)」を読みたいと思います。このエッセイは「母性原理」に基づいており、『奇跡のコース』における贖罪(アトーンメント)の原理を、神の母性的側面として捉えることについて書かれています。神を「愛する母」として考えるとはどういうことかをテーマにしています。

このエッセイは、私の著書『帰還の橋:西洋ヨーガとしての奇跡のコース(The bridge of return a course in miracles as a western yoga)』からの抜粋です。なぜ「西洋ヨーガとしての奇跡のコース」と呼んでいるのか、疑問に思われる方もいるかもしれません。その答えを説明するために、本の裏表紙に書かれている紹介文を読みます。

 

・ 精神的伝統とヨーガ
古来より、精神的伝統は人を「唯一のいのち」へと結びつける実践を発展させてきました。インドのヨーガもその一つです。同様に、『奇跡のコース』も、赦しを通じて私たちの霊的自己と故郷へと橋をかける「ヨーガ」の一形態と見なすことができます。つまり、『奇跡のコース』は「帰還の橋」なのです。実際に『コース』の中に「帰還の橋」について言及している箇所があります。

ヨーガという言葉を使った理由は、カール・ユングの発言にも由来します。彼はこう言いました:

「数世紀の間に、西洋は独自のヨーガを生み出すだろう。それはキリスト教によって築かれた基盤の上に成り立つ。」

 

・西洋的ヨーガとしての「奇跡のコース」
つまり、『奇跡のコース』を「西洋的ヨーガ」として考えるというのは、キリスト教の伝統とその象徴を用いながら、それを赦しのプロセスという癒しの過程として再解釈していくことなのです。『コース』では「贖い」「贖罪」「十字架」などの言葉が使われますが、それらには従来とは異なる意味が与えられています。
ユングの分析心理学も同様です。彼はキリスト教神話を一種の「神話学」として見ており、キリストの生涯に現れる象徴や出来事を、私たち自身の心理的成長や癒しの段階として読み解きます。 そういった背景から、このエッセイ集に『帰還の橋』という題名をつけるのはとてもふさわしいと思いました。

 

・「Let It Be」の由来と母の象徴
それでは、『Let it be』から読んでみましょう。さて、このエッセイは「破局化(Catastrophizing)」という言葉の定義から始まります。

__________________________________________
訳注:破局化(Catastrophizing)
限られた情報に基づいて最悪の結論へと飛躍し、過剰な警戒心や未来への不安を引き起こす思考傾向。

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私はずっと、ビートルズの名曲「Let It Be(レット・イット・ビー)」は、ポール・マッカートニーが見た聖母マリアの幻に基づいたものだと思っていました。
「困難なときに、マザー・メアリーが私のもとに来る」と彼は歌っています。
でも、それは私の勘違いだったのかもしれません――あるいは、間違ってはいなかったのかもしれません。 2018年のテレビ番組「カープール・カラオケ」で、マッカートニーは14歳のときに亡くなった母メアリーが、1960年代に夢の中に現れて、こう言ったと語っています。
「すべてうまくいくさ。ただ、Let It Be」
ただし、聖母マリアとの関連について尋ねられると、彼はそれを聴き手の解釈に委ねています。

 

・ 聖母の象徴とヘレン・シャックマンの幻視
私にとって、聖母マリアの象徴は特別な意味を持っています。それは、ヘレン・シャックマンが見たピエタの幻視を思い起こさせるからです。以下は、ケネス・ワプニックの著書『Absence from Felicity『天国から離れて』にある描写です。

「マリアが死んだイエスの身体を抱いているミケランジェロピエタ像を幻視し、その像が彼女の目の前に現れ、マリアがこう言った――『これは何の意味もない』」

この幻視において、マリアは息子の身体の死が、自分とのつながりに何ら影響を与えないことを知っていたのです。

『奇跡のコース』が言うように
「心はつながっているが、肉体はそうではない。」__________________________________________
*訳注:T.18.Ⅵ.3
心はつながっているが、肉体はそうではない。肉体の特性を心にあてがうことによってのみ、分離が可能であるかに見える。そうして心のほうが、断片化されて私的で孤独なもののように見えている。心を分離させ続けているのは心の中の罪悪感であり、その罪悪感が肉体に投影されている。そして肉体は、苦しみ死んでいくことになる。なぜなら、心の中に分離を保ち、心に自らのアイデンテイテイーを知らせずにおくために、肉体が攻撃されるからである。心は攻撃できないが、空想を作り出して、肉体がそれらを演じるように仕向けることはできる。だが、満足をもたらすように見えているのは、決して肉体の行うこと自体ではない。心は、自らの空想を肉体が実際に演じていると信じていない限り、心の罪.悪感をますます肉体に投影することにより、肉体を攻撃する。
Minds are joined; bodies are not. Only by assigning to the mind the properties of the body does separation seem to be possible. And it is mind that seems to be fragmented and private and alone. Its guilt, which keeps it separate, is projected to the body, which suffers and dies because it is attacked to hold the separation in the mind, and let it not know its Identity. Mind cannot attack, but it can make fantasies and direct the body to act them out. Yet it is never what the body does that seems to satisfy. Unless the mind believes the body is actually acting out its fantasies, it will attack the body by increasing the projection of its guilt upon it.

__________________________________________
マリアがイエスの傷ついた身体を見て、それでも彼の「無傷の統一性」を認識できたことは、まさに「奇跡の機能」を体現しています。

「奇跡とは訂正である。 それは創造することはせず、実際何の変化ももたらさない。 奇跡はただ惨状を見つめ、そこに見えるものが虚偽であると心に思い出させるだけである。」

__________________________________________
訳注 W-pII.13.1:3
奇跡とは訂正である。 それは創造することはせず、実際何の変化ももたらさない。 奇跡はただ惨状を見つめ、そこに見えるものが虚偽であると心に思い出させるだけである。 それは誤りを取り消すが、知覚を超えるところまで進もうとはせず、 赦しの機能を超えようとしない。 それ故に奇跡は時間の枠内にとどまる。 それでもそれは超時性が戻って愛が目覚めるための道を開く。 奇跡がもたらす優しい癒しのもとでは、恐れは必ず消えていくからである。
 A miracle is a correction. It does not create, nor really change at all. It merely looks on devastation, and reminds the mind that what it sees is false. It undoes error, but does not attempt to go beyond perception, nor exceed the function of forgiveness. Thus it stays within time's limits. Yet it paves the way for the return of timelessness and love's awakening, for fear must slip away under the gentle remedy it brings.

__________________________________________


2.  病の根源は「分離の信念」

私たちのあらゆる病や不安の根源は、「神から分離した」という誤った信念にあります。そしてその信念は、死や破壊という世界の現象に投影され、それが現実であると解釈してしまいます。

それだけではありません。ストレスは必ずしも重大な出来事である必要はありません。例えば「料理の失敗」「遅刻」「ゴミ出しを忘れた」といったささいなことでも、エゴの「分離思考」に基づいていると、それが世界の終わりのように感じられてしまうのです。

癒しとは、『コース』の「贖罪の原理」に立ち返ることです。それは、「私たちは決して神から分離していない」「私たちはひとりではない」「私たちは安全である」という真理と再びつながることを意味します。

~Part2/4へと続く

仮面について  by Northern Bear Spirit

仮面について
私は、あることに最近気が付いたのですが、それは、わたしは時々、理由もなく、空虚な、上滑りをしているような気持ちになることがあって、好きな映画を観ても、音楽を聴いても、人と話をしていても、実に白けた気分になることがあります。 鬱状態だと言えば、それまでですが、その原因の一つがなんとなくわかったような気がしました。

それは、自分に嘘をついている時だということです。 自分自身に対して、誠実になっていないのです。 例えば、分かち合いのような時、我々はその場の空気を読もうとします。もし発言を求められれば、その場の空気を壊さない、協調性のあることを話そうとします。無難なのは、リーダーの言う内容を肯定的に話すことです。 また、テキストがあれば、その内容に沿ったことを言えばだいたい、大丈夫です。 友人に会うときも、その友人との友好関係を保とうとして、その友達に自分を合わせようとします。 彼が笑えば、私も笑顔を作ります。 大事なのは関係性だからです。 全員でいっしょに祈ろうとしている時に、一人だけ「俺はやらない。」と言ったら、その会をぶち壊すことになります。

C.G.ユングはこれをペルソナという言葉で説明しました。 大人は誰もが社会に適応するために外界に示す「仮面」を被っています。 私たちは場面や役割に応じて様々なペルソナを使い分けます。職場では仕事をするペルソナ、家庭では「親」としてのペルソナ、友人との間では、「親しい、信頼できる仲間」としてのペルソナなど、状況に応じて行動や態度を使い分けることで、社会生活を円滑に進めようとします。 ユングはこれに対して、「本当の自分」である自我(注:この自我は奇跡講座で使っている自我とは違います。)を区別しました。 ペルソナは社会と個人の妥協点であり、あくまで外向きの側面です。 この仮面に、無意識的に、ほとんど完璧に同一化をしている人もいます。 また、家に帰ってきたら、その仮面を完全に取り去って、自我を解放しようとする人もいます。 これもよくあるパターンです。 DV(Domestic Violence)は、その一つの例です。

しかし、ユングはこのことによって、自己の全体性を確立する「個性化のプロセス」が進まないことを指摘します。 そして私自身、自分が無理して、協調し、仮面を被って演技していると、ドッと疲れてしまいます。 そして文頭に言ったように、何の理由もなく鬱状態に陥ってしまうことになるのです。

 

では、いったい、どうすればいいのでしょうか?

娘と話していて、地域精神保健福祉機構というところが配信している「こころの元気をプラスする」という雑誌があって、そこで安保寛明という山形県立保健医療大学の先生が言っていることを少し教えてもらいました。  

https://www.comhbo.net/?page_id=28985


まだ、全文を聞いていないのですが、私が受け取ったことはこうなります。

自分に誠実でありながら、他人とも協調していく方法なんてあるのでしょうか?

例えば、ある人のやり方が完全に間違っているなと思った時に、
「あなたは間違っている。 それはダメだよ!」と言ったら、まず間違いなく、その人との関係性は悪化します。 たとえ、それが本当に正しかったとしてもです。
その代わりにこう言います。「その方法いいかもしれない。でも、こういう方法もあるよね。」と。
誰かの意見に対して、それに正論で論破しようとするのではなく、その発言で自分の心理がどのようになったのかを話します。 その時の自分の気持ちを正直に話します。 
この時、相手をコントロールしようとするのではなく、自分の心を正直に見て、話しています。

奇跡講座にあるように、この世界は「内的状況の外的映像」です。 ですから、相手がダメに見えるのは、私のダメが彼に投影されているのです。 自分が抱くすべての裁きや攻撃の想念の中に、愛の啓示に対する自分自身の恐れがあるのです。

また、夜更かししている子供に「夜更かししちゃだめだよ。 明日早いんだろ。」と言う代わりに「だいじょうぶ? 明日眠くならない? 心配だな。」と言います。 これも、奇跡講座が教える全一性、相手と自分は同じであるということが基盤になっています。

この二つのパターンに共通しているのは、外に向かうのではなく、内に向かうということです。 ここに「愛」があり、この愛は自分自身に対しても向かっており、誠実です。 仮面をかぶる時、わたしたちは自分自身にも、誠実になっていません。 どうも、わたしたちは、自分自身をもう少し、真剣に扱う必要があるようです。

実相世界 ステファニー・パナイ Part 5/5(奇跡講座)

実相世界 ステファニー・パナイ Part 5/5(奇跡講座)

The Real World in A Course in Miracles
Stephanie Panayi

Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=fnz4lJoPTd0

6. 実相世界への「投資」と「自分への再投資」

聖霊にとって、真実であるものはすべて永遠であり、愛の思考だけが真実であり永遠なのです。このコースでは、聖霊が私たちがこれまで抱いてきたすべての愛の思考を救うことについて語っています。だからこそ、実相世界に投資する価値があるのです。なぜなら、それが私たちの経験となるからです。私たちにとって、世界は私たちにとって非常に大切なものになるでしょう。なぜなら、それは私たち自身、そして他のすべての人々の現実を反映するようになるからです。つまり、私たちはエゴの思考体系の醜さ、つまり腐敗や汚れや垢といったものを見過ごす経験をするでしょう。それらが存在しないわけではありません。私たちの目に見えないわけではありません。ただ、それらは私たちにとって何の意味も持たなくなるのです。エゴが与えるような意味を持たないのです。
ところが、世界は現実であり、荒廃は現実であり、醜さは、私たちがそれをどう定義しようとも、現実なのだと、彼らは教えます。

実相世界への投資という考えについて、第12章のこの一節を読みたいと思います。

「神の子、つまり私たち全員の目覚めは、実相世界への投資(investment)から始まり、それによって彼は自分自身への再投資(re-investment)を学ぶだろう*」。

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*訳注:T-12.Ⅵ.4
訂正とは、見ることができない者たち全員のためのものである。見えなくなっている者の目を開くことが聖霊の使命である。というのも、聖霊は、彼らが心眼を失ったのではなく、ただ眠っているだけだと知っているからである。聖霊は彼らを、忘却の夢から目覚めさせ、神を思い出させようとする。キリストの目は開いている。そしてあなたがキリストの心眼をあなたのものとして受け入れるなら、あなたが愛をもって見るものは何でも、キリストが見ることになる。聖霊は、眠っている神の子の一人ひとりのために、キリストの心眼を保っている。キリストの視覚には、神の子は完全無欠と映る。そして、キリストの心眼を、聖霊はあなたと共有したいと切望している。神はあなたに天国を授けたのだから、聖霊はあなたに実相世界を見せる。聖霊を通して、あなたの父はわが子に対し、思い出すようにと呼びかける。神の子の目覚めは、彼が実相世界へと思いを投入することから始まる。そしてそれにより、彼は自分自身に思いを投入し直すことを学ぶことになる。なぜなら、実相は父と子と一体であり、聖霊は父と子の御名において、実相世界を祝福するからである。
4 Correction is for all who cannot see. To open the eyes of the blind is the Holy Spirit's mission, for He knows that they have not lost their vision, but merely sleep. He would awaken them from the sleep of forgetting to the remembering of God. Christ's eyes are open, and He will look upon whatever you see with love if you accept His vision as yours. The Holy Spirit keeps the vision of Christ for every Son of God who sleeps. In His sight the Son of God is perfect, and He longs to share His vision with you. He will show you the real world because God gave you Heaven. Through Him your Father calls His Son to remember. The awakening of His Son begins with his investment in the real world, and by this he will learn to re-invest in himself. For reality is one with the Father and the Son, and the Holy Spirit blesses the real world in Their Name.
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ですから、私はこの自分自身への再投資という考えが好きです。自分自身に再投資する時、私たちはこう言うのです。「ああ、私は価値がある。実相世界に投資する努力をする価値がある。」 「私は赦しの実践に時間を費やす価値がある」。

これは、ケイト・サブラノ(Kate Sabrano)というパフォーマーが最近、ある番組でインタビューを受けて言った言葉を思い出させます。
彼女は80年代にとても人気があり、今も演奏活動を続けています。80年代と90年代は主にポップミュージックを演奏し、数年前にはメルボルン交響楽団と共演したことがあります。インタビュアーが「それは勇気ある行動ですね」と言ったのですが、それに対し、「最近気づいたのですが、何かをうまくやるためには、自分自身を真剣に扱う必要があるんです。」と応えました。 私は「ああ、彼女の言いたいこと、わかる!」と思いました。

これは非常に大切なことです。たとえば、依存症から回復する人も同じです。「私は回復するに値する存在だ」と決心する必要があります。本気で自分に向き合うことが、真の癒しのスタートなのです。

あなたは「呼ばれた者」であり、そして「選ぶ者」にもなれるのです。
赦しの実践を最も重要なこととして選ぶとき、自分を「実相世界の挑戦者(contender)」として決意するのです。 どういうわけか私たちは「現実世界に到達できなかった、私たちは本当に平和な場所に到達できなかった」と思い、いわゆるインポスター症候群*に陥っています。しかし、周囲で何が起こっていても、私たちは本当に戦場を乗り越えることができるのです。
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*訳注:インポスター症候群
自分の力で何かを達成し、周囲から高く評価されても、自分にはそのような能力はない、評価されるに値しないと自己を過小評価してしまう傾向のこと。インポスター(impostor)は詐欺師、ペテン師を意味する英語で、「詐欺師症候群」と呼ばれることもある。
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『奇跡講座』はこう言います:
「すべての者招かるれど、聞くこと選ぶ者少なし*」
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*訳注:T-3.Ⅳ.7
私はあなたに代わって選択することはできないが、あなたが自分自身で正しい選択をするのを助けることはできる。「招かるる者多かれど、選ばるる者少なし」は、「すべての者招かるれど、聞くこと選ぶ者少なし」となるべきである。つまり、彼らは正しく選ばない、ということである。「選ばるる者」とは、単に、より早く、正しく選ぶ者であるにすぎない。正しい心は今これを行うことができるのであり、そうすれば、彼らは自らの霊魂に休息を得るだろう。神は平安の中でのみあなたを知っている。そしてそれがあなたの実相に他ならない。
I cannot unite your will with God's for you, but I can erase all misperceptions from your mind if you will bring it under my guidance. Only your misperceptions stand in your way. Without them your choice is certain. Sane perception induces sane choosing. I cannot choose for you, but I can help you make your own right choice. "Many are called but few are chosen" should be, "All are called but few choose to listen." Therefore, they do not choose right. The "chosen ones" are merely those who choose right sooner. Right minds can do this now, and they will find rest unto their souls. God knows you only in peace, and this is your reality.
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赦しを実践し、それを最も大切なこととするために、自分は挑戦者だと決意してください。あなたの可能性を真剣に受け止め、あなたの能力を真剣に受け止め、あなたの意欲、あなたの意欲の力を真剣に受け止めるという点で、自分自身を真剣に受け止めてください。

もし私たちがそうしたいと思えば、私たちは皆それをすることができます。 それは努力と練習をする価値があります。
見てくれてありがとう。また会いましょう。さよなら。

実相世界 ステファニー・パナイ Part 4/5(奇跡講座)

実相世界 ステファニー・パナイ Part 4/5(奇跡講座)

The Real World in A Course in Miracles
Stephanie Panayi

Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=fnz4lJoPTd0

5. ヘレン・シャックマンの地下鉄体験

実相世界は、外側の物事が実際に変化したり、美しいものが存在するかどうかに左右されるのではなく、内なる経験、そして聖霊のビジョンを通して世界を見ることと関係しているという考えを強調するために、ヘレン・シュークマンと彼女がケネス・ワプニックの講義を執筆した物語『Absence from Felicity(邦訳:「天国から離れて」 中央アート出版社)』から次の一節を読みたいと思います。これはヘレンの言葉で書かれた抜粋で、彼女の地下鉄での経験について書かれています。

彼女は外出していました。冬の寒い日でした。夫のルイと出かけていました。彼女はタクシーで家に帰りたかったのですが、彼は乗りたくありませんでした。彼は言いました。「地下鉄に乗ればいいじゃないか。タクシー乗り場まで歩いて行ってタクシーを捕まえるより、ずっと早いだろう」彼女はしぶしぶ同意しますが、地下鉄に乗るのが嫌で、地下鉄に向かうとき、地下鉄に乗り込むとき、心の中でルイに対してどんどん怒りがこみ上げてくるのです。この抜粋を読んでみたいと思います。かなり長いですが、とてもためになる内容ですので、最後までお付き合いいただければ幸いです。さあ、始めましょう。

「プラットフォームに着くと、ちょうど電車が出発するところで、次の電車まで20分ほど待たなければなりませんでした。時間が経つにつれて、私はますます怒りがこみ上げてきました。ようやく次の電車が来たときには満員で、熱気を帯びたラジエーターの上の席に座るまで、かなり長い時間立たなければなりませんでした。新しい毛皮のコートを着ていたのですが、きっとダメになってしまうでしょう。駅ごとにドアが開くたびに、帽子をかぶっていない私の頭に凍えるような強風が吹きつけました。家を出る前にかなりの時間をかけて手入れした髪も、ひどく傷んでしまいました。私は肺炎にかかってしまうだろうと確信しました。 さらに危険なことに、周りの人々は咳やくしゃみをしていて、まるで細菌が襲ってくるのが目に見えるようでした。その時までに、夫の軽率な行動が命取りになるだろうと確信していました。彼が新聞を満足そうに読んでいるのもまた、事態を悪化させました。危険なだけでなく、この状況全体が私にとってひどく不快なものでした。列車のチェーンが閉まり、車内はニンニクとピーナッツの臭いが漂い、私たちと一緒に押し寄せる人々は薄汚れてみすぼらしく見えました。通路の向こう側では、子供がチョコレートの跡がついた手で母親の顔とコートを撫で、汚れた指紋が彼女の体中に残っていました。

二つ席が離れたところでは、別の母親が赤ちゃんが吐いたドレスを拭いていました。年長の子供たちのグループが騒がしく、そのうちの一人が床に落ちたチューインガムを拾い上げて口に入れていました。列車の奥では、何人かの老人たちが激しく言い争い、汗だくになっていました。私は状況全体がますます不快になり、吐き気を催しながら目を閉じてそれを遮断しようとしました。

その時、驚くべきことが起こりました。それはほんの一瞬のことでした。それに伴う激しい感情はほとんど一瞬にして薄れ始め、1分も経たないうちに完全に消え去りました。何が起こったのか正確には説明できません。しかし、大まかに言えば、閉じた目の後ろでまばゆい光が燃え上がったような感じでした。
目を閉じた私の内側に、まばゆい光がぱっと広がりました。そしてその光の中に、自分自身の幼い姿が現れ、その子が光の中に歩み寄っていくのが見えました。... その子は静かに頭を垂れ、巨大な何かに身を預けるようにして消えていきました。 光はさらに明るくなり、私はその光から言葉では言い表せないほど激しい愛が私に流れ込むのを感じました。それはあまりに強力だったので、私は文字通り息を呑んで目を開けました。私はその光をもう少し長く見ていましたが、その間、電車に乗っていた全員を、同じ信じられないほどの強さで愛していました。そこにいた全員が、信じられないほど美しく、信じられないほど愛しかったのです。それから光は消え、汚れと醜さの以前の光景が戻ってきました。その対比は本当に衝撃的でした。

私は平静さを取り戻すのに数分を要しました。そして、私は不安そうにルイの手に手を伸ばし、「どう説明したらいいのか分からないけど、とても面白いことが起こったのよ」と震える声で言いました。実は、少し怖かったんです。言葉で説明するのはとても難しいんです。

それから彼女はルイに何が起こったのかを話しました。するとルイは「心配しないで。よくある神秘体験なんだ。気にしないで。」と言いました。ヘレンの体験は、内なる光の経験が、いかにして外なる光を見るように導くかを強調しています。彼女は汚れや埃、臭いなど、あらゆるものが見えなかったわけではありません。ただ、それらが完全に見過ごされていたのです。それらは問題ではありませんでした。彼女にとっての現実ではありませんでした。真実だったのは、彼女が感じ、体験することができた、これらの人々の中にある愛と光でした。だからこそ、誰もが突然、彼女にとって信じられないほど大切な存在になったのです。これが実相世界で経験するようなことです。聖霊は、愛に基づかないもの、愛だけを語らないものを見過ごさせてくれます。ですから、私たちの記憶でさえも、聖霊は、このコースでは、聖霊が私たちの記憶を浄化し、愛に由来しないあらゆる経験を浄化することについて語っています。 愛に由来しないものは現実ではなく、永遠でもなく、幻想の一部なのです。

Part 5/5へ続く