実相世界についてのワークショップ Part 14 ケネス・ワプニック Ph.D.
Part 14 -- Workshop on "The Real World"
Youtube
https://www.youtube.com/watch?v=lcLa965b11g
Gloria: このコースを学んでいると、エゴはいつもこっそりと裏口から入り込もうとします。 そして、自分が「正しい心」で読んでいると思っていても、突然こういった箇所に出くわして怖くなるのです。 なぜなら、自分が手に入れたものを築き上げるのにあまりにも長くかかったからです。 ─ 愛していると思っている世界を築いたからこそ、それを手放すように求められると、犠牲のように感じてしまうのです。
でも、思い出してください。 犠牲とはエゴの観点であって、神の観点ではありません。 それを手放す準備が整った時に─強制されるわけではなく、自らの選択で─それが可能になります。 ワークブックのレッスンが言っているように、「あなたが見る世界には欲しいものは何もない*」と真に理解したとき、手放すことに恐れを感じなくなります。
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*訳注:W.128.1~2
私が見ているこの世界には、私が望むものは何もない。 あなたが見ている世界は、あなたに必要なものを何も与えてくれない。 あなたにとって何らかの使い道があるものを、喜びをもたらしてくれるものも、この世界に含まれてはいない。このことを信じなさい。そうすれば、あなたは積年の不幸や無数の落胆や、いずれは苦い絶望の灰燼と化す希望の数から救われる。 この世界を後にして、この狭い視野と卑小な慣習を超えて高く飛翔したいものになら、誰でもこの概念を真理として受け入れなければならない。 この世界であなたが価値を置いている一つ一つのものは、あなたを世界につなぎとめる鎖に過ぎず、それ以外の目的には役立たない。というのも、すべてのものは、あなたがそこに新たな目的を見るまでは、すでにあなたがそれに与えた目的に仕えることしかできないからである。 この世界の中で、あなたの心に新にふさわしい唯一の目的とは、あなたが希望の無い所に希望を知覚しようとしてぐずぐずせず、ただそこを通り過ぎてゆくことである。 これ以上、だまされてはいけない。 あなたが見ている世界には、あなたが望むものは何もない。
The world I see holds nothing that I want.
1 The world you see holds nothing that you need to offer you; nothing that you can use in any way, nor anything at all that serves to give you joy. Believe this thought, and you are saved from years of misery, from countless disappointments, and from hopes that turn to bitter ashes of despair. No one but must accept this thought as true, if he would leave the world behind and soar beyond its petty scope and little ways.
2 Each thing you value here is but a chain that binds you to the world, and it will serve no other end but this. For everything must serve the purpose you have given it, until you see a different purpose there. The only purpose worthy of your mind this world contains is that you pass it by, without delaying to perceive some hope where there is none. Be you deceived no more. The world you see holds nothing that you want.
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Kenneth: あなたが実際に手放すのは、物質的なものではなく、自分の「執着」や「投資(価値を置いているもの)」です。 イエスの愛と共にそれを見つめたとき─あなたが本当に大切にしたいと思っているその愛の視点から─それらはただ自然に消えていきます。 本当に、「コース」が言っている通り、それらは「それがやってきた虚無へと消えていく」のです。
エゴの思考体系を支えているのは、それを信じて、大切にして、しがみついているあなた自身の心です。 でも、イエスの「特別性のない」思考体系を愛し、それを大切にするようになれば、両方を同時に大切にはできません。 だからこそ、「二つの世界を同時に見ることはできない」と言われるのです。 そしてもう一つの世界、以前はとてもリアルに見えていた世界は、ただ消え去っていきます。
質問者1:私は、ちょっと混乱してるのですが、「実相世界」に達する前って、決断者は正しい心と間違った心を行ったり来たりしてますよね?
でも、あなたが「決断者は消える」って言ったのがわかりませんでした。
Kenneth:
「実相世界」を選んだら、それは一度きりの選択なんです。 つまり、もう再び選ぶ必要はないのです。 プロセスとしては、正しい心と間違った心を行ったり来たりするのですが、最終的に「イエスの愛の外にいることの代償」があまりにも大きいと気づき、「この夢はいらない」と本当に思ったとき、それは消えていきます。
そうなると、「正しい心」が完全に選ばれ、「聖霊の現れ」となり、もはや「分離」や「罪」の考えはなくなります。 つまり「間違った心」は消え、「選択」することもなくなり、「決断者」も消えるのです。 つまり、選ぶという役割そのものが消えるのです。 なぜなら、あなたは完全に「真理」に同一化したからです。
質問者2
まさに今その段階にいます。 正しい心から間違った心へ、また正しい心へ…という感じで、すべての回路がオーバーロードして、本を投げ捨てたくなってしまうほどです。
Dougrasがいい一節を見つけてくれました。
「静けさの中でこそ、すべての答えが見出され、すべての問題が静かに解決される」
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*訳注:T-27.Ⅳ.1
Ⅳ静かな答え
静けさの中で、すべてのものに答えが与えられ、どの問題も静かに解決される。葛藤の中には答えも解決もあり得ない。なぜなら、葛藤の目的は解決を不可能にすることであり、どの答えをも不明瞭にすることだからである。葛藤の中で設定される問題には答えがない。問題がさまざまな見方で捉えられているからである。一つの見解からすれば答えに見えることも、別な観点からすれば答えではない。あなたはまさしく葛藤の中にいる。したがって明らかになることは、あなたは何に対してもまったく答えられないということである。葛藤には限られた結果というものはないからである。しかし、神が意志することはすでに為されているのだから、神が答えを与えたのなら、あなたの問題を解決する道はあるはずである。
IV. The Quiet Answer
1 In quietness are all things answered, and is every problem quietly resolved. In conflict there can be no answer and no resolution, for its purpose is to make no resolution possible, and to ensure no answer will be plain. A problem set in conflict has no answer, for it is seen in different ways. And what would be an answer from one point of view is not an answer in another light. You are in conflict. Thus it must be clear you cannot answer anything at all, for conflict has no limited effects. Yet if God gave an answer there must be a way in which your problems are resolved, for what He wills already has been done.-
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この「静けさ」を思い出せたら、「220ボルトが110ボルトの回路に入ってくるような」感覚はなくなるはずです。
Gloria: 質問がなければ、次のリーディングに進みましょう。
質問者3:夢を見ている者が消えると、「観察者」はいなくなりますか?
Kenneth: 観察者がいません。「観察」という行為自体が二元性のアイディアなのです。つまり、観察者と観察されるものが存在するというアイデアです。
決断者がやっていたことがまさにそれです。 しかし、イエスと共にその間違った心(誤った心)を見つめ、それを「笑い飛ばす」ことができるようになったとき、間違った心は消え去ります。 そうなると、観察するものは何も残らず、「私」という感覚、個としてのアイデンティティも消えます。
エゴにとっては、これが恐ろしいのです。 だからこそ、時間の幻想の中でこのプロセスが非常に長くかかるように感じられるのです。 長くコースを学んでいく中で、イエスが本当に言わんとしていることがだんだんと直感的に理解されてきます。
彼は「この夢をより良くすること」を目的としているのではありません。 「幸せな夢」は「不幸な夢」の訂正ではありますが、常に「幸せな夢」を選び続ければ、やがて夢そのものから目覚めるのです。 夢から覚めるということは、個別性も完全に消えるということ。 そこにこそ恐れがあるのです。 そして、神の愛とひとつになるのです。 まさにイエスがそうであったように。
質問者3:Bruceの質問は重要です。 私たちの多くは、この夢の中で「実相世界」を選ぶわけではありません。 ただ、正しい心と間違った心を行ったり来たりしているだけです。
Kenneth: もし、最後の断片すらも「犠牲だ」と思うことなく手放せたなら、そのときこそ目覚めが起き、「実相世界」に入ります。 これが『奇跡講座』のいう「贖罪の受け入れ」であり、「実相世界の到達」なのです。
面白いことに、今私たちがホワイトボードに書いたように、すでにエゴの思考体系は消えています。 それなのに、あたかもまだ存在するかのように振る舞っている。 それこそが、このコースの本質です。
テキスト第28章の冒頭には重要な一節があります:「現在の記憶」というセクションです。 そこでは、イエスがこう言っています:
「この世界はとっくに終わっている。 にもかかわらず、あなたはまだここに世界が存在しているかのように行動し、罪が本物であるかのように振る舞っている」
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*訳注:T-28.Ⅰ.1
奇跡は何もしない。するのは、取り消すことだけである。そのようにして、すでに為されていることに対する妨げを無効にする。つけ加えることはせず、ただ取り去るだけである。そして、奇跡が取り去るものは、すでに消え去って久しいが、記憶に保たれているために即座に結果を生むように見えているものである。世界はとうの昔に終わっている。それを作り出した想念は、それらの想念を思考して少しの間それらを愛した心の中には、もはや存在していない。奇跡は単に、過去は消え去っているということと、真に消え去ったものは何の結果ももたらさないということを、見せるだけである。原因を覚えていることは、原因が存在するという幻想を生み出せるだけであり、結果を生み出すことはできない。
I. The Present Memory
1 The miracle does nothing. All it does is to undo. And thus it cancels out the interference to what has been done. It does not add, but merely takes away. And what it takes away is long since gone, but being kept in memory appears to have immediate effects. This world was over long ago. The thoughts that made it are no longer in the mind that thought of them and loved them for a little while. The miracle but shows the past is gone, and what has truly gone has no effects. Remembering a cause can but produce illusions of its presence, not effects.
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まさにその通り。 すでに終わっているのに、私たちはまだそれがあるかのように生きています。 それが「錯覚(hallucination)」であり、イエスがこの世界を「妄想」と呼ぶ理由なのです。 本当は何もないものを、あると思い込むためには膨大な努力が必要です。 ただ「それは全部夢であり、すでに終わっている」と受け入れる方がよっぽど楽なのに。
コースにおける成長とは、「自分がどれほどこの幻想にしがみついていたいと思っているか」に正直になることによって測られるのだと思います。 イエスの目的は、彼が地上にいたときも、今このコースの中でも、こう言うことです:
「誰もいない。 ここには誰もいない。 私もいない」
そして、あなたが本当に無私の愛を彼やすべての人々に捧げるなら、「これがすべて夢だった」と気づくでしょう。 このことが、当時イエスを知っていた人々にどれほどの恐怖をもたらしたかを考えてください。 だからこそ、彼の本が書かれ、宗教が作られたのです。 そして、それこそがエゴがこのコースに対してやろうとすること──つまり、夢を本物にしようとする誘惑です。
彼は何度も言っています。 「夢は存在しない」「エゴの思考体系はすでに消えている」と。 そして、最後に残るのは、その「優しい微笑み」だけなのです。 かつて「この世界が本当に存在していた」と信じたことの愚かしさに対する微笑みだけが残るのです。